秘書物語  ― 水溜りに写る空 ―


あれから数ヶ月

空は澄み渡り
こんなコンクリートで埋め尽くされた都市でも鳥のさえずる声が聴こえる。

周囲を高層ビルに囲まれたその屋上は頭上だけをぽっかりと空け、青い空を違和感があるほど鮮明に広げていた。

通り過ぎた雨は、屋上に払いきれない水溜りを残している。

晶子は大きく深呼吸すると足元の青空と降り注ぐように差し込む日差しを目を細めて見上げた。

 この仕事についてもう1年以上が経つのね ―――





途絶えることのない通信。
広い管制室のあちらこちらでのブースでは、太陽系内のそれぞれの防衛機能を取り仕切り、そして掌握する作業が止むことはない。
そんな中、それぞれにまとめられた情報を整理し、的確な判断と対処を指示する参謀機関は確実に正しいものだけを引き出して司令長官へと報告をする。
間違った情報は、人類の生存を脅かすものになる。
だからいつも緊張した空気がとりまとう。
そんな中でも、きちんと空気の変化を察知して、絶妙のタイミングで「コーヒーをお持ちしましょうか」と声をかけられる人がいた。

 森 雪さん

 私の先輩で、宇宙戦艦ヤマトの生活班長だった人。

白色彗星帝国との戦闘後、防衛軍司令長官であったおじい様 ―― 藤堂平九郎 ―― つきの秘書になった彼女は、同性から見てもスレンダーで、とても防衛軍に勤めるような人には見えなかった。
しかしそれは、第一印象だけであって、それが脆さを感じさせることはなく、むしろ凛とした姿で、天に向かって咲く白百合のよう崇高さだった。

そんな雪さんと私が出会ったのは、太陽が核融合を起こし、超新星化するとう信じられないようなことが興った時。
おじい様が防衛軍長官といっても、私は本当に疎い少女時代を過ごしていた。

ガミラスの攻撃の時も、巨大戦艦が月を炎でたぎらせた時も、黒く冷たい重核子爆弾が地上に舞い降りた時も・・・・
私は、幼かったからということ以上に、その危機的情報を知らされていなかった。
自分からそれを尋ねることもなく、それは自分自身への危険をは直接関係のない、通り過ぎてゆくのと感じていたのかもしれない。だからただ静かに待つだけだった。

だからこれまでの地球に起きた事は事実でありながら、遠い過去のことのように思えた。

地球が受けた攻撃は、誰の中でもいい思いではない。
だから自然と過去に受けた傷を周囲の誰もが口にしなくなった。
晶子もそうして恐怖を振り返ることはしなくなり、自分自身の記憶を忘れようとしていたのかもしれない。

そんな私が、一時帰国した際、おじい様の大変さを見かねて「秘書にしてくださいます?」なんて言ったのは、その時も地球人類への危険が、現実的に感じていなかったから。

 今にして思えば、なんて軽率なことを言ったのかしら・・・。

もちろん難色を示したのはおじい様。
おじい様以外はすべて軍とは関係のない職業についている藤堂家。
そして海外に住む両親は私の発言に呆れていた。
それでも、おじい様に「いい勉強になるのではないでしょうか」とそれこそ命を懸けて任務についているすべての人の家族が聞いたら怒り心頭するような言葉でおじい様に進言してくれた。

 「お前たちは甘いな」

両親の言葉に、静かにため息をつきながらそう言ったおじい様。
それでも移民局の任務も兼任することになったおじい様は私を秘書のひとりとして配置してくれた。

戦闘とは無縁の任務。

それでも毎日が24時間では足りないほど、こなして行けない事務処理。
そして情報整理と各機関での活動報告は秘書の仕事の一部だった。

『甘い』とうのはこういうことに対しておじい様は言ったのか、と思った。

でも、それは次第に違うことに気づいたの。





 雪さんは本当に素敵な人だった。

影ではいろいろなことが囁かれていたけど、彼女と接すれば、彼女とともに時間を過ごすことがあった人なら、そんな噂になっている話のほとんどすべてか嘘か僻みによる中傷だと解るはず。

どんな仕事でもそつなく、いいえ、完璧にこなそうとする。もちろん人に対しての配慮や気配りにも嫌味がなく、ごく自然と相手の立場を察知して手配も抜かりがない。
そしてそれは彼女の生きていく上でのスタンスなのかもしれないと、一緒に仕事をするようになって感じた。

自分にとって雪はまさしく今自分が目標とする女性だった。

そんな彼女がついに結婚するという。

 古代さん やっと雪さんと籍を入れるって決めたのね

軍に勤めるものなら知らない人がいないだろうヤマトの艦長にまでなった人。

ヤマトとともに、何度も地球の危機を乗り越えてきた人は、最初の航海の時から、その手をつないできた人だけを離すことはなかった。

立場は晶子よりずっと上であるのに、ヤマトを訪れた時、自らが艦内を案内してくれてそしてたった一人の部下でさえも見切ることなく気持ちを尊重してくれた人だった。

 運命なんて自分ではどうしようもないのに・・・。

出会った時はそれだけの関係だと思っていた相原とのことを思い出す。
女性との経験が豊富とは言いがたい、謙虚で誠実な相原。
まさか彼がヤマトの乗組員で、それも通信班長なんて重責にいるなんて考えも出来ないほど、優しい物腰で自分のことなんて後回しにしそうなタイプの彼が、信頼を寄せるクルーたちはイメージとは違い微笑ましいほど少年の顔をも持っていた。

それは雪さんの婚約者古代さんも同じで・・・。

艦長であり、防衛軍の艦隊司令官の任をもこなす立場でありながら普段の彼はこんな私でさえ、笑みを零してしまうほど純情で純粋。

男の人はいつまで経っても子どもみたいって言われるのは、こんな面をみんなが持っているってことなのかしら

時々、相原が誘ってくれるヤマトクルーたちとの懇親会で、子どもの言い争いのような会話を聞くことがある晶子はそのたびに笑いが絶えない。
最初の頃は、それはとても驚いたことだったが・・・。

 それでもその頃から雪さんは微笑んでいたんだけど。

そう長くない時間の中で、すでに形は完成していたんだと改めて思う反面、晶子は雪と古代の結婚に感慨深そうに椅子に持たれた藤堂の姿を思い出した。

藤堂のほっとした自分にさえそう滅多に見せる事のない優しい笑顔。
自宅の自室で、お気に入りのソファーに座った藤堂はその場にいない誰かに語りかけるように呟いた。

 これでほんの少しだけ、私の心配もなくなったな・・・・

柔らかい黒い革張りの椅子に、深々と腰を落ち着かせ、瞑想するように目蓋を閉じた後、深く息をついた。

 なぁ 沖田・・・・

いつもその存在に何かを求めていたのだろうか。

そして今、言葉にしなくてもその返事をもらっていたのだろうか。

防衛軍司令長官として、誰にも頼ることの出来ない立場。
その中で、唯一拠り所となる存在は、きっと戦友として共に過ごしてきた白い髭を生やしていた沖田十三艦長。
晶子は常に藤堂のデスクにある沖田艦長との写真を思い出した。

若い頃のおじい様は、沖田艦長ともうひとり厳しい視線を向ける軍服の人物と写っている。

 『三羽烏なんて昔は言われたがな・・・・』

黒い艦長服を着て、制帽を被った3人の若き宇宙戦士。
その中で残ったのは藤堂だけ。
それを淋しいと思っているのだろうか。

無言で向ける藤堂の視線は、さまざまな色をしている。

それさえも、雪は穏やかに見守るように見つめているのだ。

観世音菩薩のように静かに佇む姿はその存在自体が癒しを与えてくれるようだった。
誰もが憧れ、そのひと時を望む。

そんな彼女を尊くもその懐に所有することは他の誰もが望んでも出来なかったことは、それは雪自身の望んでないことだったからでしかない。

自分の意思を極力排し、そして勤め上げる存在のためにそのすべてを費やす任務についているからこそ、この時を、水が流れるがごとく逆らわず時を待っていたのだろうか。

瞑想する藤堂の横のテーブルにコーヒーカップを置いた後、晶子は言った。

 「おめでとうございますって言わなくっちゃ」

そう言いながらとても胸が熱くなった。
自分のこと以上にそれは嬉しかったから。






 「 晶子さん 」

 「 相原さん 」

青い空に白い雲が通り過ぎる。

屋上はそう人が来る事はない。
それでも自分を呼んだ声は、静かに広がる波紋のように優しい。

 「 聴きました? 」

 「 はい。おじい様から、昨日の晩に・・・・」

相原も自分のことのように顔を赤らめた。 そして首を振るように軽く頭を左右に動かしながら晶子の近くに寄った。

 「 ・・・・僕も、昨日聴きましたよ 南部からね 」

 「 まぁ 」

おかしそうにそう告げる相原は、口元を右手で隠して笑う。

 「 今頃は、みんなに伝わってるでしょうけどねー 」

ヤマトの艦長で戦闘班長だった人はクルーからとても人気があるらしい。
そうこの数ヶ月の期間で学んだ晶子は、相原の笑顔の意味を図りかねたが、額面通りの言葉でそれを収めた。
 「 ・・・・ねぇ相原さん 」

 「 はい?」

晶子の声に相原は少しだけ真剣な顔をして自分より20センチほど小さい彼女を覗き込むように、首を傾げた。

 「 お祝いは何にしましょうか? 」

 「 そ、そうですねー・・・。何がいいでしょうー 」

相原の顔を見上げる晶子はそれはそれは楽しそうに笑って、自分の手をそっと相原に触れさせた。
それに一瞬だけ、目を大きくした相原は、縮まったその空間をより狭め、晶子の隣に立った。

凭れるその重みにじんわりと愛しさが増す。

今が休憩時間で、ここが防衛軍司令本部の屋上なんて、そんなことは今はどうでも言いか・・・。

そう思わずにはいられない。

相原は壊れ物を扱うようにそっと肩に手を回した。
するといつもの柔らかい感触とほんのり甘い香りが鼻腔をくすぐる。

少女のような面差しで、くるりと艶やかな瞳の晶子は自分の胸に頭を預け、そしてその目蓋を閉じていた。
それは何かを祈っているようでもあって、それを邪魔することは出来ない。
しかしその数秒後、晶子は顔を上げ空を見つめた。
相原もそれに惹かれるように顔を上げる。

 「 いいお天気ですね 相原さん 」

 「 そうですね 」




短い休憩に呼吸を重ねて
それがとても幸せなことだと感じた晶子だった。



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2007.05.05.こどもの日格納
久々に突発的に浮かんだんですが・・・。
ホントは雪ちゃんと古代君の話だったのに、何故??相原君がぁーーー
人生なんて、こんなもんです。