星の瞬き  〜 うわさ 〜




土門竜介はまぶたを擦りながら、自動通路を食堂に向かっていた。

時間は地球時間でいうなら早朝の4時少し前だ。

だが、生活班炊事科勤務の彼にしてみれば、通常任務時は、この時間には起床しなくてはならない。

だからこっそりとコンパートメントを出ると、静まり返った艦内をひとり食堂に向かう。

  あーあ・・・・まだ眠いや・・・・

昨日は12時過ぎまでミーティングだった。 

戦艦と言っても、ヤマトを動かすのは人間で、それらの精神力を支えるのが「食事」と言い切るチーフ幕の内である。
彼の強いその信念と、プロ意識の強い班員は活発な意見を出しながら、今後のメニューや食糧製造について決めてゆく。

そんな生活班炊事科は、戦闘班砲術科を希望していた土門にしてみればまったく未知の世界だ。

だからミーティングでは、そのことの成り行きを黙って見ているだけだった。

  少数精鋭っていうのは炊事科勤務の人たちのことだよなー・・・

どの部署よりも人数の少ない炊事科。 

 「ヤマトの全乗組員の毎日の食事を管理し、それは彼らの健全な肉体をも管理していくことになる。 だから、俺たちはこの仕事に誇りを持っているんだ。」

そう土門に話していた平田は、戦闘で命を失った。

静まり返ったヤマトの中で、土門はそっと溜息をついた。

自分だっていつかそんな時を迎えるかもしれない・・・・。

それまで一度もそんな不安を感じることはなかった土門であったが、こういう時は何故だかそんな事を考える。 だが、艦底から響いてくる波動エンジンの音はいつもと同じに安定していて心地よい。

自分を励ましてくれるような気がする。 振り返ってばかりじゃ前に進めないって言っているようだった。

土門は大きく伸びをすると、自動通路を横切り食堂に入った。






食堂の奥の厨房にはすでに明かりがついていた。

そしてそこにはチーフの幕の内が白衣を身につけ準備に入っていた。

いったい何時寝たのだろうと思うほど、いつも厨房にいるチーフ。

「おはようございます」 と挨拶をしつつ、土門は幕の内に近づいた。

そしてその影になるように立っていた雪に気づいて思わず頬が緩んだ。

「班長! どうしたんですか? こんなに早くから」

「あら、おはよう 土門君。」

雪は振り向き笑顔で土門を迎えた後、またテーブルに視線を戻した。

どうやら艦長に持っていくレモンティーを準備しているようだった。

それに気づいて土門はそっと頬を膨らませた。

  ちぇ。 また艦長か・・・・

訓練学校で出会う前の古代は、土門にとって『憧れの先輩』であったのだが、初対面の時のあの一件が土門の意識に変化をもたらした。

あの時の古代は地位を振りかざして、自分の実力を否定し、それに見下されたような感じがしたからだ。

それに納得いかないまま乗艦してみれば、今度は「班長が女」であると言う。 それにまたカッとしたものだ。

班長は、見た目にも「綺麗」で「戦艦には不釣合い」なほど線の細い、いかにも実践の経験もなく足手まといになりそうな感じの女性。

そんな女性の下で働かせるなんて・・・! と面識もない雪に対して一瞬にして思った土門だった。

だが、それが間違った印象だったことは、出発後すぐに判明し、今では雪以外の者が生活班長であることなど想像できなかったし、雪以外に適任者はいないと思えた。

生活班長の素晴らしさは、誰よりも知っている。

今の土門はそう自負していた。

そんな女性が、こんな朝早くから嬉しそうに紅茶を用意している。

それも勤務時間外で班長の仕事でない。

そう考えると何となく心穏やかではない。

乗艦よりすでに2ヶ月近くになり、やはり古代の凄さは実感として、自分のもっていた『憧れの先輩』であったことを再び思い起こさせたが、実際には自分とさほど年の変わらない古代を、恭しく「艦長」と敬うことも何だか不必要に思い、そう出来ない土門であった。

それに、噂ではふたりは「婚約者」であると言うことを聞いているから・・・。

   だけど、まったくそんな風には見えないんだけどなー・・・。

土門には判断しにくいが、雪の古代への接し方はどちらでもないように見えた。

班長は任務として当然 『艦長』の世話をする。 それが甲斐甲斐しく見えるから余計に艦長のそっけなさが班長に対して冷たく感じた。

   まったく優しさがないよなー 艦長は・・・

だからそんな古代の態度は、恋愛経験の少ない土門からしてみれば『許せない男』のものであった。
それに自分だったら・・・と言う気持ちがない訳ではない。

   俺だったら、もっと雪さんに優しくしてやるのに・・・・ 

しかし、だからと言って艦長が班長にベタベタして、いかにも「俺の女だ」的な態度に出られても・・・・。

   それの方がもっと嫌かなー

複雑な土門の心中など気づいていないように雪はトレイを持ち上げ、厨房を出て行く。

「あとはお願いします。 私はこれを置いたら、医務室にいますから・・・・」

そう告げて雪は厨房を後にした。

土門はそれをいつまでも見つめていた。






ヤマトは銀河中心部に向かっていた。

女子乗組員が下艦して何事もなく航海が過ぎる。

だが、その日、突如として現れたあの艦隊。

久しぶりに地球人に会ったのに、その観測船は卑劣な奴らに攻撃され、撃滅された。

揚羽が見つけた団船長は遺体となって艦内の霊安室に運び込まれた。



艦内は忙しくなってきた。

第2戦闘配備のまま時間が過ぎる。

そして 宇宙気流の影響を受け始めたヤマト。

それに微妙に顔を渋らせながら島が操縦桿を操っている。

メインパネルを見上げていた古代が一段と声に気を含んで叫んだ。

「レーダーのレンジを上げろ! 」

「今・・・・! あっ、右30度に敵艦隊! 距離1万4千!! 」

太田の声とほぼ同時に、ガルマン帝国 ダゴン将軍はヤマトを攻撃をしてきた。

艦内に非常警報が鳴り響く。

「敵 旗艦から通信です。」

相原の緊張した声に古代は上部のパネルを見上げた。

画面が変わる。

青い肌をした男―― ダゴンの顔が口端を上げて笑っていた。

「ヤマトよ・・・・ 今宵が最後の祝宴だ・・・・。 覚悟しろ・・・!」

「そうはさせない・・・・!  俺たちには、重要な任務がある! おめおめとやられるかっ!!! 」

全身から怒りのオーラが出ている古代。

第1艦橋全体がそのオーラに包まれる。 そしてそれはヤマト全体に広まっていくようだった。

「全艦! 戦闘配備!! 各砲塔 砲撃照準合わせ! 」

艦長古代の声に自然と身体が動く。 訓練が身体に染み込んでいる証拠だ。

土門も厨房の器具を固定したり、食料を倉庫に移動しなくてはならない。

「早くしろ! 敵が攻めてきたら、今までの準備が水の泡だぞ! 」

幕の内の冷静な声が、艦長の声とは対照的だった。







「まったく、あのダゴンってやつ蛇みたいにしつこかったな・・・・」

白鳥座の空域に、ブラックホールが存在する可能性があるとは言われていたが、それが本当だったとは・・・。

戦闘配備が解除され、そして気分が開放されたのか太田が深い溜息をつきながらそう呟いた。

「本当だよな。 こんな綺麗な星座の近くにブラックホールがあるなんて、無粋だよ・・・・」

「おやおや、相原君。 ずい分 君、詩人的発想だね〜」

完璧にこなしたはずの砲撃が、ブラックホールに吸収されて、それが「外れる」という事態になった砲術長はいやみタラタラで隣の相原を突っつき始めた。

出発前夜の相原と藤堂長官の孫娘 明子の始まったばかりの『恋物語』を、艦内では知らない者はいなかった。
それほど、みんな些細な「幸せ」を歓迎していた。

「い・・・。いいじゃないですかー・・・ 僕 こう見えても、これが地ですからっ・・・・!」

思わず赤くなる相原に、ふたりが爆笑する。

古代は島と神妙な顔をして話をしていたが、そんな笑い声に顔を上げた。

「どうした? 何かあったのか? 」

「いえいえ、古代さん。 何でもないですから、気にしないでください! 」

真っ赤になった相原はそう言って、自席のパネルをいじり出す。

「・・・本当に、ここの人たちは、純情ですね―― 」

しみじみと言う機関長山崎は腕を組んで、何かを思い出すように頷いていた。

「そうでしょ? だって、トップがこうですからねー 」とは南部。

その顔はニンマリと笑って同期である艦長を見ている。

古代は一瞬目を丸くしたが、それには触れないようにまた視線を島に向けた。

「おい、古代。」

「な、何だよ・・・島・・・!」

感情を押し殺した島の声。 

それに内心ギクッとしながらも平静を装う古代だったが、それは長年付き合ってきた者の間ではまったく役に立っていない。 

島の呼びかけに、年相応の青年になってしまう。

神経を張り詰めた戦闘のあとは、どうしてもそれから脱したいという自身の神経が、ついつい口に出てしまうなー・・・と島は思いつつも、その場に雪がいないことをいいことに自分をセーブしないつもりらしい。

思ったことをそのまま口に出し始めた。

「いったい、いつまで、そうしてるんだよ 」

「何を・・・? 何のことだよ・・・! 」

勤務時間中に仲間内の会話以外のないものでもない話を、同じく副長の真田は面白そうに見ているだけだ。

まあ、島の言いたいこともわかる。

この戦闘中の2日間、島はほとんど眠っていないのだ。

メインスタッフの交代など出来ない状態のヤマトでは、このような戦闘中に仮眠を取ることも出来ない。

全員が同じ状態の艦橋は、ほとんどそんなふたりのやり取りをレクレーションの一つとしているようだった。

そして真田も疲れた身体を解すように、軽く首を動かしただけで、事の成り行きを傍観することに決めた。

「・・・・相変わらず、嘘のつけないヤツだな・・・。 それでも『艦長』か?」

   そうさせないのは、お前たちだろう・・・  

なんて呟いた 古代の心の声は虚しいものだ。

島はジーっと古代を見た。

「先日の、あの食堂の一件。 アレで苦情が上がっている・・・・」

「・・・・?」

「・・・・・生活班長の雪がいったい誰を好きなのかってな 」

「はあ?! 」

「そんなことは俺には関係ない。 」 とは言えないので、言葉を捜すように思考をめぐらす古代だ。

だが、『何だって、こんな戦闘終了直後にそんな話を・・・・・』 と言うぐらいの事しか思い浮かばない。

いくらたった今 生死を賭けた・・・、生死を分ける戦闘が終わったと言っても、そんな話をしている時間も心のゆとりもない古代だった。 

さっさと、情報収集して、報告書を本部に提出して、眠りたいぐらいだった。

それに自分としてみれば、この旅立ちの直後よりもずっと雪に対して、それまでに近い意識を持っている。
だから、先日の土門の行動につい「いいかげんにしろ」なんて言ってしまったのだ。

それがこうして周囲の余計な意識に翻弄されるのか。

   あーあ・・・・。 俺の気持ちは誰も判ってないのか・・・・

そう思うと思わずムカッとした古代だった。






「どうやら古代は気づいているようですね・・・・」

「ああ」

副長ふたりで食堂に休憩に入る。

島は厨房の中に見えるその血気盛んな新人を見ながらそう言った。

少し前の古代に似ている。 そう思ったことは確かだ。 

だが、土門と古代の違うところはやはり土門の方が「素直」であるというところだ。

明らかに土門は生活班長の雪に魅かれている。

今では生活班長の「小姓」なんて陰で言われているらしい。

「まあ、放っておけよ。 雪が古代から乗り換えない限りはあのふたりは変わらん 」

そんなことは有り得るわけもなく、真田の言い方もまったく意に関していないようだった。

それに、まさかそんなことが起こるとは、その時のふたりにはまったく予知することは出来なかった・・・・・。







後部展望室

間もなく日付が変わる。

艦長室から書類を持って生活班長室へ向かおうとしていた古代は、ふとその場で足を止めた。

ここが一番 雪とのつながりがある場所だった。

ひとり一番奥の窓辺に立ち、思わず溜息をつく。

「 艦長と生活班長という立場でいよう 」と言い出したのは自分だった。

そうしなければこの任務は成功しない。 なんて なぜ思ったのか・・・・。

雪との幸せを考えるたびに繰り返して起こる人類滅亡へのカウントダウン。

ヤマトが『人類の未来を運ぶ艦』と言われる影で『死神船』と囁かれるのも、航海のたびにそのような戦闘や侵略に立ち向かって大勢の戦士を失ってきたからだと思う。

それにこの航海には『成功』以外の結果はあってはならない任務だった。

だから一番大切にする存在を、封印した。

自分にそう願掛けのつもりと、自分の任務の重さを雪の存在で軽減させようとする自身の甘さを捨てようと考えた古代だったが、やはり自分のそばには雪が必要だった。

彼女がいるから、自分でいられるのだ。

それは、単に「好きだ」とか「嫌いだ」とか言う子どもっぽい感情ではなく、存在そのものに自分の生き方を受け入れてもらえることへの喜びだ。

それまでと、何一つ変わらず、自分の信念を貫いて生きることを誰かにわかって貰いたい。 それが、雪にであり、自分もそんな彼女を見守りたい。

時には、辛いこともある。 お互いに淋しいこともあった。 

それらを乗り越えて、今 またこうしていられる事が、それだけで、古代は満足だった。

だが、実際は触れられるほどそばにいるのに、「艦長」なんて立場になった時、自分のその気持ちを抑えることばかりで、後先のことなど考えずに雪にあの言葉を告げたのだ。

それから余計にギクシャクしていたふたりの間。

可笑しいことだが、出航当初は意識して雪には接触しないようにしていた古代だった。

だが、最近の自分の中にはそれも薄れつつあると思う。

しかし、長年一緒に戦ってきた仲間はすべてを見透かしているように、自分の精神に触れてくることを告げてくる。

   土門が雪を好きだってことぐらい 見てれば解かるさ・・・・! 

   だからって 俺に何が出来る? 

このところの第1艦橋で時折聞かされる話や、各部署で囁かれている噂を知らないわけではない。

それは艦長として当然耳にしている。

それが「艦長」として何らかの対処を必要とされる事でもないと思うから、何もしないのだ。

それだって解かっているはずなのに、メインスタッフは要らぬ事まで「報告」してくるのだ。

   また 遊ばれてるんだよな、俺・・・。

艦長職の激務は、艦長代理としてこれまで行ってきたこと以上だった。 それに惑星調査もある。

これまでの自分たちの経験がまったく役に立たないことも多い今回の任務。 

それに誰もが不安がないわけではなかった。 

だから少しでも今までと同じだと思いたい気持ちもあるのだろう。 

古代の重責を感じながらそれを少しでも軽くしてやろうと、みんなは思っているのだ。

だが、現実、乗組員すべての生死を古代が決定しているようなものなのだ。

それまでの、『艦長代理』としてこなして来たもの以上に、『確実性』や『絶対』を必要とされる。
そんな気がする。

だから自分のことなんて、結局は今の古代にしてみればすべて後のことだった。



星の瞬きが途切れることはない宇宙。

古代は自分のまだまだ成熟できない気持ちを、いつもの闇がすべて包み込んでくれたらいいと思った。








戦闘後は特に生活班は多忙だった。

元々、通常時であってもやらなくてならないことがある部署だ。 

24時間 年中無休の生活班。 その班長である雪は女子乗組員が下艦してからほとんど休暇がなかった。

戦闘後は、負傷者の手当て。 生活区域における負傷箇所の点検や補充。

それに新生活班員として乗艦した5名のフォロー。 

そして、乗艦後から行っている訓練学校卒業生たちのメンタルチェックや生活補助。 

いくら訓練学校を優秀な成績で卒業してきたと言っても、生活面においては完璧にこなせるものではない。
些細なことでホームシックになったり、戦闘で精神的にも参っているものたちも若干いるのだ。

それらのことを医務班が対処するとしても、それらすべて把握しなくてはならないのが班長だった。

   ちょっと疲れちゃったわ・・・・

班長室でデーターをまとめて入力したあと、雪はその手を休めるように椅子にもたれた。

すでに時間は12時を過ぎている。

今夜は第1艦橋には相原と島がついているはずだった。

通信班長である相原がレーダーも担当している。

第1艦橋のメンバーは、上に立つものとして、ほかの者の席においてもそれなりの操作が出来るように訓練していたし自分でもそれらの知識を吸収しようとしていた。

それに相原は通信機器や一般的なコンピューターのシステムに関しては、真田の次にヤマトでは扱いがうまいと言われていたほどだ。 そんな点でも、レーダー装置への興味も深かった。

「何か、持って行こうかしら・・・・ 」

そんな必要はないが、自分が何か飲みたくなった雪は班長室にあるコーヒーメーカーのスイッチを入れた。

コポコポと音を立ててお湯が落ちる。

それをぼんやりと見ている雪はついウトウトしてしまった。


「班長。 失礼します! まだいらっしゃるんですか? 」

自室ではないので鍵のかかっていない班長室。

土門はノックもせずにそう声をかけただけで、扉を開けて中に入った。

「班長・・・? 」

ソファーの近くにあるサイドテーブルで、湯気を立てるコーヒーポット。 コーヒーの苦味を含んだ香りが漂う。

その前の椅子に雪が座っている。 うしろ姿がどことなく小さい。

それに呼びかけられて振り向くことも、返事をすることもない。

「・・・? 」

不審に思い土門はそっと雪の前に回り込んだ。

「眠ってる・・・・? 」

雪は椅子に座ったままの状態で眠っていた。

    なんて・・・かわいい・・・ 

そのすべてを包み込むようないつもの瞳が閉ざされ、素に近い雪の寝顔に土門はそう思いながら見とれていた。

その細くて長いまつ毛。 柔らかそうな髪。 

それらすべてに、最初に『班長が女だって!』と雪を見て叫んだ自分の失礼な態度のことなど、すでに100万光年も彼方の思い出だ。

雪のすべてが、土門にとっては貴重な存在だった。

「・・・・雪 いるのか? 」

入室のベルが鳴る。 そしてその声と同時に古代と新しく生活班員として乗り込んだもうひとりの姿が目に飛び込んできた。

「あ・・・艦長! 」

土門の言葉に雪の身体がピクンと反応したようだった。

ハッとして、幾分俯きかけていた頭を上げる雪はそれによってバランスを崩して倒れ込む。

  え? 

そう思った時には、誰かの腕に支えられていた。

「よかったー・・・・ 班長危ないじゃないですか。 大丈夫ですか? 」

すっぽりと土門の腕の中に雪は抱きかかえられる形で収まっていた。

思わずジッと相手を見つめる雪。 まだ意識がはっきりしていないのか、土門を見つめる目がぼんやりしている。

古代は誰にも気づかれないように溜息をついた。

そして微妙な間を置いてから、1歩中に入った。

「すまんな。 こんな時間に・・・。 」 

怒っているわけでもないし、厭味を言っているわけでもない。 

ただ、偶然にしろ雪が自分以外の男の腕に、例え、倒れそうになってそれを支えられるためにであってもその『腕の中』にいるのは目の前の現実である。

古代はそう言った後、持っていた書類を班長席の机に置いた。

「取りあえず、この企画書は目を通させてもらった。 私としては出来る限り任務に差し支えない程度、行ってほしいと思う・・・・」

雪はやっと土門の腕の中から離れた。

そして立ち上がると、何事もなかったように古代の前に立ち、その置かれた書類を見てから、再び古代を見つめた。

「ありがとうございます。 精一杯、やらせてもらいます 」

ニッコリと微笑む雪。 それを見て、艦長は頷いてそのまま出て行った。







翌日 第2艦橋にいた島は、航海班員の一部で囁かれる話を耳にした。

それとほぼ同時刻

工作室の製作台で図面を引いていた真田も、同じような話を耳にしていた。



「おいおい、変な話を耳にしたが・・・」

「真田さんもですか? 実は、僕も第2艦橋で・・・・」

ふたりの視線の先には、厨房内であわただしく動く土門がいる。

すっかり厨房内のことも解かっている様子で、その動きも無駄がない。 それに新しく入ったスタッフとの連携も良くなっているようだ。

これから遅番のシフトになるので、それを前にコーヒーを飲みに来たふたりはそう言った後、しばらく無言でそれぞれ何かを考えているようだ。

だが、どちらともなく溜息をつく。

そして、テーブルに近づくと、島はボゾボソと話し出した。

「僕が聞いたのと、真田さんが耳にした話は同じ話じゃないかと思うんですが・・・・」

島と同じことを考えていた真田は、先ほど聞いた内容をあまり口にしたくないと考え、椅子に背をもたれた格好で艦内通信機を取り出すと何やら打ち込み、そしてボタンを押した。

すると島のそれがバイブで動く。

画面を開いた後、島は「やっぱりですかー・・・」 と心なし寂しそうに呟いた。

それから島は、真田と同じような姿勢で椅子に深く座ると画面を見つめたまま、「僕のはそれに・・・」 と言ってメールを打ち返した。

今度は真田の通信機が動く。

それを見ながら独り言のように 「・・・・それは聞いてないぞ、俺は 」と画面を見つめたまま真田が言った。

そして、眉間に皺を寄せて両腕を組んだ。

「でも、話はデッチアゲの部分もあるだろうし、正確さには欠けるな・・・・。 3分の2はウソだろう 」

そう願っている様子である。

ふたりの副長が聞いたのは、昨夜(今朝方未明)の一件だった。

古代と一緒にいた生活班員の話が、大きく翼を広げ、勝手に艦内を舞っている数時間の間に、どうやらとんでもない話になってしまったらしい。

「ウソにしても、ずい分と描写が細かくないですか? それに、あの時間、確かに班長室は誰かいました。・・・・・モニター確認しますか? 」

「・・・・それはな・・・・。」 

各班長室・ミーティングルームや人の集まる場所にはカメラが設置されている。

そのデーターは通信班が管理していて、特に問題の事件が起きた場合のみ、各管理・担当責任者が閲覧出来るようになっていた。

そこまでする気持ちがなかった真田である。

それにそれをすれば艦長にも知られる。

出来ることなら、古代にはこの話を耳に入れたくないとは共通の意見だった。

そして「しばらく様子を見よう」という消極的な意見で取りあえずふたりは黙認することにした。





だが、あいにく 艦内は戦闘がないこともあってか、生活班以外の部署は時間も心にも余裕があった。

ところどころで交わされる話は、3日もしないうちにそれぞれが思ったことをつけたし、また削除されながら話はとんでもない方向に進んでいた。

「・・・・何だか、今度の生活班のイベントで結婚式するヤツがいるって言う噂だぞ・・・」

「おい! それって生活班長とってことだろ!? 」

「当たり前じゃんかっ! 今 女って あの人しかいないぜ!! 」

「じゃあ、その相手は誰なんだっ!! 」

「誰って・・・・艦長じゃないらしいけどなー・・・ 」

「じゃあやっぱりあいつか!!? あの・・・!! 」

通常勤務であると同じ作業を繰り返すのみになる機関部が、一番適当な話題を作り上げていた。

それも中堅どころになりつつある徳川。

先日のあの一件以降、厨房の新入りにいささか含みのある言動を繰り返していた。

「でも、雪さんがそうそう古代艦長から乗り換えるとはな〜。 それとも付き合い長いから倦怠期なのかな・・・・ 」

そのひと言が余計な事である。 

それを感づいていない徳川の言葉に、新入りたちはまた新たなる疑惑や解釈を付け加えて、それが艦内に流れていくのだった。




そんな大事になりつつある「噂」が艦長の耳に入らないわけではなかった。

この話が根もないものなら古代も完全無視をしているつもりだった。

だが、自分もその場にいたし、その一件は関わっている。

それに今回の「噂」について、メインスタッフが珍しく古代を突いて来ないのだ。

「・・・・・・」

それの方が、古代にしてみれば不気味な気がしていた。

特に、相原のあの『悲しそうな』視線と南部のよそよそしい態度。

   なんなんだ? 相原と南部は・・・! 何か俺に言いたいんじゃないのか?

ふたりとも、古代以上にその「噂」を耳にしているだけあって、流石に「俺達だって言わないこと」があちらこちらで交わされることに多少の腹立ちもあった。

自分たちが常日頃、古代に似たようなことを言っているってことなどは、ふたりの中にはない。

だが、今回の「噂」はやたらと古代の怒りに触れるような、それでいて内心を傷つけるようなこともあるので、ふたりは自重しているつもりだったのだが、かえってそれが古代には気になることだった。

いつものように、気軽にぶつけて来てくれたほうがどんなに気も楽か。

    まあ、そのうち そんなことも言ってられなくなるかもしれないな。

艦内の「噂」がこの程度の平和なものなら、自分が「ネタ」になるのも我慢しよう。とその時はまだそんな余裕のあった古代だった。







    だけど・・・・。 まさかな・・・・





艦長室で古代はそう独り言を言って首を振った。

そして思いを断ち切るように顔を上げ、古代は自分を包み込んでくるような宇宙空間を見つめた。

そこに見える星々は、いつもとそう変わらず瞬いている。

宇宙はすべてのものを知り尽くし、受け入れてくれている。

そんな気がした。








 まろんさんからの20000ヒットのキリリクです。

 リクは『「古代くん、雪ちゃん、土門くんの3人が出てくるお話」が良いです。雪ちゃんに片思いの土門くん、それを気に留めていないようで 実は気にしてる古代くん、なんかがいたら最高ですけど。』ってことだったのですが・・・
こんな感じでいかがでしょう? 

脱稿 2005.12.22                                                背景 深夜光房さま