天使の羽
・・・・・ 古代くん 起きて ―――
耳元で 雪の声が聞こえる
え ・・・ 雪 ・・・・? なんで ・・・・?
確か 昨日は12時を過ぎて官舎にひとりで帰ってきたはず・・・!
だが 古代はふと目を開けると そこには雪が ―――
それも、全裸(?) ・・・・< いや、それは完全に思い込みの妄想?!>
胸の辺りをその白い右腕で隠すような姿で。
艶かしい その瞳。
熱っぽい 上気した頬
まさか・・・・!!!? おれ・・・!?
古代くん ―――
自分の何も着ていないその胸に雪の細い腕が纏わりついてくる。
そして 枝垂れかかるように 雪はその顔を胸に埋めた。
ゆ、ユキ・・・・!
バクバクと自分の心臓の音がやたらと早くなる。
ちょっと ま、・・・・ そんな まだ 僕たち はや・・・!
しどろもどろとなる古代をよそに 雪は上半身を起こし そして古代の顔を不思議そうに見つめる。
柔らかな胸の感触
冷ややかなその指先が古代の顔のラインを沿うように頬から首筋
そして鎖骨をなぞって行く・・・・
雪 ―――
まさか。 そんな・・・・!
わー !!!!! ――――――
全身に薄っすらと汗をかいて 飛び起きた。
まだ薄暗いその室内。
カーテンの隙間から その街頭の明かりが差し込む以外にまだ朝日が上がるまでは時間がありそうだった。
枕元に備え付けの時計。
それはまだ4時を少し廻ったところだった。
夢 ・・・・? それにまだ4時じゃないか ・・・・
ベッドの上で胡坐をかいたまま、古代は辺りを見回す。
やっぱり雪はいない。 それが残念だったような ホッとしたような・・・・。
なんなんだ・・・・。 俺
自分で自分の夢に赤くなる。
昨日、初めて通したこの部屋で つい吸い込まれるように雪のその小さな唇にキスをした。
初めてのことなのに それが何度も感じていたような柔らかさだった。
だけどポカンとしたまま、目蓋も閉じない雪。
それに何だか『イケナイ』ことをしたような感じで・・・。
だから、そのまま何も言えずに濁した言葉。
でも
――― 好きだよ 雪
エントランスまで送ってくれた雪にそう囁いたら、真っ赤になったまま俯いてしまったっけ。
そんなことがあったせいか・・・・
わー!!! マズイよっ! 絶対に 不味い!!
焦りまくりながら 自分を罵る。
雪が好きだ。
だからいつかはこうなるかもしれないと思う。
だが、こうして夢で見てしまうとは・・・・・
・・・・ 地球に帰って来て、安心したせいかな。
複雑な思いで古代はさっき見た雪を思い出す。 そしてまた真っ赤になった顔に手を当て、頭を思いっ切り振った。
こらから会うのに 絶対にマズイ!!
ほんの少しだけ首を傾げた雪の仕草。
そしてその純真無垢な瞳で見つめられた時のことを頭の中で描いて、古代は自分のその想いを打ち消そうとした。
だが、そんな生理的な思いを封じられるわけもなく・・・・。
これじゃあ、俺 雪に会ったら何にも出来ないぞ・・・・
天井を仰ぎ、古代はため息をついた。
そんな自分に心の中で、悪友たちが騒ぐ。
『 何かするつもりなのか? 古代進! 』 と笑いを含んだ島の声がするようだった。
それを断ち切るように古代はベッドから飛び降り、そしてバスルームに向かった。
約束通りに古代はやって来た。
美咲の何でも知っているような笑顔に、古代は顔がひきつる思いだ。
それを隠すように丁寧にお辞儀をして 「 昨日はご馳走になりました 」と告げた。
「 あら 気にしないでまた何時でもいらっしゃい。 」
ニコニコと満面の笑みで美咲が古代を見つめる。
そしてその母の脇から雪が現れた。
淑やかな いかにも母親の好みの服なのか、美咲は娘を姿に満足そうに目をやった。
そして 「 そんなに慌てなくても あがってお茶でもしていきなさいよ 」 というが、それは娘にやんわり拒否された。
「 もう。 ママ いいの。 このまま出かけちゃうから! ・・・ ごめんなさい、古代くん。 どこかで待ち合わせした方がいいと思ったんだけど・・・・。 」
家に来ればこうなることは予想できたので、雪としてはそれで時間を潰されたくなかった。
だから連絡を寄こしたら古代に、どこかで待ち合わせをしようと言おうと思っていたのだ。
それなのに美咲が「 おうちで待ってますから いつでもいらして 」なんて勝手に決めて電話を切ってしまったのだ。
「 大丈夫だよ。 それよりお父さんは? もうお仕事ですか? 」
昨夜はさすがに飲みすぎた。 そう思うと古代は姿の見えない父の様子を尋ねた。
初対面の時の、何もかもを反対していた美咲とは違い父は初めから古代のことを受け入れていた。
そう雪も思っていた。
だが、このままふたりが順調にお互いの思いを育んで行ったら必ずいつか『花嫁の父』になる学は、雪の笑顔が古代に向けられるたびに内心の抵抗を試み始めていた。
しかしそれには気づいていないふたりだった。
そして今 姿の見せない父。
「 パパ? さっきまでリビングで苦そうなお茶を飲んでいたけど・・・・。 ? 」
昨日とは違うオフホワイトのコートを着た雪は、揃えてあったピンク色のパンプスを履いて美咲を振り返った。
美咲はふふふ・・・と笑いながら
「 パパ? どこかにお出かけしたみたいねー・・・。 」と呟いた。
「 その辺にお散歩してるんだと思うわ。 さあ、いいから行ってらっしゃい 」
「 ・・・ じゃあ、行って来ます。 」
美咲は内心しょうがないパパと思いながら、娘のその凛とした背中から可憐な愛らしい横顔を見つめた。
「 のんびりして来ていいわよ。 でも帰る前に一度 連絡を入れてね。 パパが心配するから 」
「 はーい 」
雪のいつもの返事に頷きながら美咲は見送るように手を振った。
そしてその美咲の言葉に 『解かってます』 と言うように古代は静かに頭を下げ、そして雪と一緒にマンションを後にした。
地上での様子がまったく以前とは変わっていた。
ガミラスとの戦争中は建築技術も否応なしに向上し、それに環境問題も重なり人類の生活圏は限られていた。
それは空気の正常化はされたが、大地は完全に復活したわけではないということもある。
そんな厳しい時代に思春期真っ只中を過ごしてきた古代にしてみれば、こうして女の子と歩くことがあるなんて考えもしなかった。
で、 どうしたら良いのかな・・・・
エントランスを出ると 、古代は少し後ろを歩く雪に気づいて振り返った。
「 あ。 ごめん。 歩くの早かった? 」
無意識になるとついそうしているらしい古代。 その後を雪は少し早足でついてくる。
「 うんん。 大丈夫・・・・。 ところで、何処行くの? 」
取りあえず駅に行こうと思っていたが、その先のことはまったく考えていない古代だった。
「 んー。 何処と言われても僕はどんな風に地上が変わったのか知らないんだ ・・・ 」
正直にそう言われ雪はニコッと笑った。
「 やっぱり。 それなら私のほうが良く知ってるから、案内しましょうか? 」
「 そうしてくれると助かるよ。 だけど、それでいいの? 雪はつまらないだろう? 」
「 え? そんなことないわ。 古代くんよりちょっとだけ早く地上での生活が始まったって感じなだけで、毎日病院と家の往復。 たまのお休みはママの買い物を付き合わされて・・・・。 大してどこにも行っていないのよ 」
帰還して休暇を1ヶ月もらえた雪はいいほうだった。
古代は休暇もほとんどないまま、コスモクリーナーの稼動に付き添い、その後はまた宇宙勤務になっている。
唯一 雪への思いが古代の地球への思いと繋がっていた。
そして雪は地上勤務になってから、放射能障害に苦しむ人たちが大勢来る中央病院に配属になり、放射能治療を手伝っていたのだ。
古代はまたイスカンダルの帰還の日々、そのほとんどをナースの姿で過ごしていた雪を思い出した。
それは大切な沖田艦長の辛い思い出でもある。
「 今の仕事は大変かい? 」
駅まではそれほど遠くない。 その道のりを並んで歩く間に古代はそう聞いてきた。
「 いいえ。 でも、放射能の影響は深刻だわ。 特に赤ちゃんの出生率は下がっているみたいだし・・・。 出生率というよりも母体の方の影響も大きいみたい。 」
その上、若い健康な軍務についていた男性はほとんど亡くなっている。
ヤマトの乗組員も帰還する可能性がないことを前提として乗り組んでいたぐらいだ。
「 身体へのクローン技術は進歩して発達してるけど、未だに人間の尊厳についての問題に結論が出ていないわ。 だから、生命をクローンで補うことは難しい問題だと思うわ 」
雪の言葉に、古代はふと、顔を上げた。
周囲には人が溢れるほどいるように見える。
だが、それは生活空間となる大地がまだ全部回復していないための、都市集中生活が続いているからだ。 そう気づいたのだ。
それに戦争は多くの生命 未来あるものたちを犠牲にした。
だが、科学で作った命ではそれをまかなえる訳もなく、人間はその失った悲しみを受け入れ乗り越えていかなくてはならない。
しかしそんな過去を持つ多くの人々は、それでも再び太陽から溢れるばかりの光を取り戻したことを自然と受け入れているように見えた。
「 人類は 凄いな。 与えられた試練を乗り越え、そして未来を見ている 」
古代の言葉に雪は頷いた。
「 そうね。 私たちもヤマトでの旅の中、ずっとこの美しい星を願っていたわ。 」
巨大な建築物が立ち並ぶその街。
幼い頃に住んでいた街並みとはまったく違う世界。
だが、それもあのガミラスとの戦いに勝ったから手に入れることが出来た現実だ。
古代は整備されつつある街を眩しそうに見上げた。
「 じゃあ、今日は辺境の惑星から来たお客さんになって観光案内してもらおうかな。 こんなに美人のガイドさんになら、どこでもついて行っちゃうからさ 」
「 まあ 古代くんったら。 」
照れたように笑う雪の笑顔が眩しい。
古代も同じように笑った。
「 じゃあ エアバスに乗らない? 観光案内してくれるコースがあるわよ 」
「 了解。 それで行こう 」
そう言って古代は雪の手を取った。
思わずドキッとする。
でも嬉しくって雪は頬を染めながら、横から古代の顔を見た。
澄ました顔をして、古代は前を向いている。 だが、その頬もちょっと赤く見える。
何だか言葉が出ない。
そのつながっている手の暖かさだけを感じながら、黙ってエアバス乗り場に向かうふたりだった。
側面・天井とガラス張りのこのエアバスは、観光目的として作られているらしい。
広い車内に、ゆったりした椅子。
あちらこちらにカップルや子ども連れの家族そして友人同士の塊が出来、その空間を埋めているが満員と言うほどではなかった。
古代は雪の手を引いたまま、入り口に近いその場所に座った。
雪が着ていたコートを脱いでひざの上に置く。
そして持っていたパンフレットを広げて見せた。
「 どこ行くって? 」
「 んー まずは連邦支部。 それから連邦大学に中央病院。 科学局、司法局、それから防衛軍司令本部・・・ 」
「 え?! 本部も行くの? 」
そう言って古代は顔をしかめた。
休みにあまり行きたくない場所である。 だが、コースになってるのなら仕方ない。
露骨にそんな顔をする古代に雪は笑ったがちょっとだけすまなそうな顔をする。
「 いや? それとも別のコースにする? 」
「 いいよ。 どうせどのコースでも同じようなモンだろうから。 ほかは? 」
ため息混じりにそう呟いて古代は背もたれに背をつけて雪に先を促した。
「 えーっと・・・ その後は連邦図書館。そして植物開発研究センター・・・・ 」
「 !! 」
そう言った雪に古代は飛び起きるようにして身体を雪に向けた。
「 開発センターで降りてみる? 」
うんうんと首を縦に振る古代。 そう古代が反応することがわかっていたので雪はニッコリと笑った。
イスカンダルから帰還する艦の中で、古代は時間があると艦長に提案していた土地改良の研究に没頭している時があった。
大地と空。 自然と生物への興味。 それが古代の少年時代の唯一の思い出への入り口なのだろう。
ヤマト農園で作業する古代を雪は驚きの目で見ていた。
戦闘班長なんて好戦的な立場なのに、それは自身の望んだことじゃないことを感じた。
「 じゃあ そうしましょう。 私も久しぶりに大きな木を見てみたいわ 」
緑のない創られた街。
まだまだ至る所に工事の資財が積み上げられ、そして重機が動いているそんな街並み。 そしてその間を縫うように通されたチューブ。
それらを見下ろすようにしてエアバスは音もなく動き出した。
観光用といってもそれぞれの場所で自由に乗り降りが出来る。
停車するたびに、降りる人よりも乗り込んでくる人が増える。
時折 雪が建物を見て説明する。 それ以外はふたりとも寄り添うように黙って外を見ていた。
「 あれ? 古代さんじゃないですか 」
「 相原 」
制服姿の相原に、古代は思わず驚いた。
「 それに雪さんも・・・! 」
まずいヤツに会った。
古代はそう思ったが、それでも制服姿の相原を見つめてしまう。
「 お久しぶりですね 雪さん。 お元気でした? 」
そう言いながら雪を見て、ニッコリと笑う。
「 相原くんも元気みたいね。 」
古代と一緒に2ヶ月の輸送船団の護衛艦勤務に就いていた相原である。
そのことは知っていたが、やはり久しぶりにこうして声を聞くことが出来ると嬉しい。
「 ・・・・ やだなー 昨日はあんなこと言ってたのに、こんな早くから会っているじゃないですか! 」
相原は古代を見下ろすと口を尖らせてそう言った。
下艦の際に、雪と今日は会う約束していないし、会えるとしたら明日かな・・・ぐらいの返事だったのに、しっかりと雪が古代に向かって走り出して、その腕に収まったのを確認してから帰宅した相原である。
だからそのことを古代に会ったら絶対に言ってやる、と思っていたのだ。
う・・。と古代は返事に困るように苦虫を潰したような顔をした。 現場を目撃されていたことにも気づいた。
「 でも、そうしているとしっかりカップルに見えますよ 」
制服姿でない古代を見るのは初めてだった。
「 だけど 綺麗なお姉さんを連れた学生に見えるって言うのはどうしてでしょうねー・・・・ 」
「 相原! 」
赤い顔をして叫ぶ古代。 相原はただ首を竦めながら雪を見て舌をペロッと出した。
雪は古代がからかわれている事を知ってクスッと笑う。
確かに雪はピンクと白の格子模様のアンサンブルスーツを着ているし、足元はそう高くはないがヒールを履いている。
それに対して古代は少し明るめの紺色のジージャンとジーパン姿である。 明らかにその古代の方が歳若に見える。
それじゃなくても童顔である。 ちょっとした仕草や気を抜いている時の話し方が、年相応である分、いつも以上に幼く見えるかもしれない。
「 いいじゃないですか。 こうして任務以外じゃなければ言いたいことも言えないし・・・ 」
なんて、任務時は言いたいことを我慢しているような言い方である。
古代はそれにまた言葉が出ない。
思わず作った拳が震える。
それに気づいて古代の後ろに立っていた相原はさりげなく雪の隣に移って座った。
「 で、今日はおふたりして観光ですか? いいなー 古代さん。 雪さんと一緒に『でいと』なんてなー 」
強調して『でいと』と言う辺りが南部との付き合いの長さなのかもしれない。
それとも「天然」に人を怒らせる能力があるのかもしれないが、相原はそう言った後 ごそごそと制服のポケットを探った。
そして中から何やら取り出した。
「 僕 これから本部に呼ばれていて・・・。 もしかしたら次回は乗艦できないかもしれないんですよねー・・・・。 で、これ渡しておきますから。 」
そう言って古代のそのポケットにそれを入れた。
「 ヤマトの通信機のプログラムなんですが、もし僕が乗らなかった時、通信機に何かあったらこれで対処してみてください 」
そう言って笑う相原の邪気のない笑顔。 「任務」と聞くと古代のその不審も何処かに消えたようだった。
「 今度は乗れないのか? 」
「 ええ 今のところは。 でもどうなるのか、まだ決まったわけじゃないようですが・・・・ 」
防衛軍でも通信機器についての相原の知識や技術を評価している。
護衛艦の通信士としての任務よりも、防衛軍、そして連邦政府の通信網を確立することが今は急がれていた。
そのことも軍に籍を置く古代は理解していた。 だから、次回の任務で相原が降ろされることになってもそれは艦の戦力としてはいたい事だが止むを得ないことでもあった。
「 俺が辞令を左右できるわけじゃないからな。 もしそうでもしっかりやれよ 」
「 了解です 」
ちょうどその時、エアバスは防衛軍司令本部の前に到着した。
「 じゃあ、僕はここで。 雪さん お邪魔しました。 この後はしっかり古代さんに甘えてくださいね。 古代さんもがんばって! 」
雪には笑顔。 そして古代にはVサインを残して相原はさっさと降りて行った。
あとは初心なほど頬を染めたふたりが残された。
相原にそう言われたことも原因なのか、何となくエアバスの中が暑いような そんな感じがして思わず、雪は自分の頬に手を当てた。
ヤマトのメインスタッフはみんな気が良い。 自分のことを気にかけてくれているといつも思っていた。
それはヤマトで一緒に戦ってきた仲間としてであり、その間には異性として意識がなかった雪に対して、彼らにはそれなりの不文律があったようだが。
それでも、古代が雪のことを好きなことを周囲は気づいていたし、どうやら雪も好きでいるらしいことは感じていた。
そしていつの間にかそのふたりの行く先を、見守るっという立場に廻ったのも彼らにしてみれば自然な事だった。
「 ・・・・ 何だか、暑いよな 」
古代はそんなことに気づいていない、いや、むしろお節介の多い輩であるし、それまでも数多くのことをされている。
古代は額に手を当て、自分の冷たいその手にホッとする。
そしてほんのりと赤い顔をした雪にからかうつもりであいている手を当てた。
「 きゃ ! 冷たい! ・・・ でも 気持ちいい 」
雪はその冷たさに首を竦めたが、うっとりと目を細めた。
ドキッとする。
それに接近している分雪からはほんのりと甘い香りがする。
そして あの優しくすべてを包み込んで許してくると錯覚させる瞳に見つめられ一気に体温が上昇する。
まずい!
それとは別の今朝夢で見たあの妖艶な雪が浮かんでパニックになる。
雪はそんなことは一切考えていないだろう。
妙な事を考えてるのは自分だけだ。
そう感じて古代はその手を雪からはがし、そして何事もなかったようにまた背もたれに背をつけた。
その数秒後 今度は急に立ち上がると古代は 「何か飲み物買ってくるよ」 と言ってその場を離れた。
雪はキョトンとしながらも、その古代の背中を見送った。
エアバスはゆっくりと市内を縫うように走る。
汚染された大地はそう簡単には清浄化できずに、人々が生活できる範囲は限られていた。
その限りある地上に地下にいた人々は生活圏を移している。
そのため地下の構造と同じように、だが空に向かってその建物は建設されていた。
その建物上部には作られた屋上庭園もある。 そうしなくては土や緑の木々にはお目にかかることも出来なかった。
時折そんな建物を脇を通ると、雪はホッとしたようにそれらを見つめる。
そして古代とヤマト農園で話したことを思い出しながら、雪はなかなか戻ってこない古代をふと心配になった。
・・・ どうしちゃったのかしら まさか、迷子なんてならないわよね ・・・・
数車両が連結された車内である。 10両以上が連なっているエアトレインではないので、仮に一番奥の車両まで行ってももう帰って来ているはずだ。
そう思ったので、雪は席を立った。
そして古代の消えた方へと探しに出かけた。
すると隣の車両の入り口で何やら困ったような顔をした古代がいた。
「 こ・・! 」
「 雪!! 」
古代くん、と呼ぼうとした雪は先に古代に名前を呼ばれた。 その古代は前に立ちふさがる2人の女性は古代が呼んだ相手を確認するように雪を見た。 その隙に古代は人差し指を閉じた唇に当て、しっー とい言うような仕草をした。
綺麗な女性たちだった。 年齢も自分と同じぐらいの。
そう思いながら雪は前を塞がれている古代を見つめた。
ニッコリと笑顔を向ける彼女たちが何をしているのか最初はわからなかった。 だが・・・。
「 ・・・・ 古代進さんなんでしょ?! 」
「 あの 『宇宙戦艦ヤマト』の若き艦長代理の!! 」 と叫んで古代を見つめるその視線の熱さを感じて、何となく納得した。
そんな2人の前で古代は何がなにやらわかっていないらしいが、本名を明かすことだけはどうやら良くない事と感じているようだった。
「 え・・・。 いや、 違うよ。 人違い 」
だんだんと近寄られ その分後退りするような形だった古代は、背にドアの冷たいガラスを感じてもう下がれない、と思った。
「 違うわ! 本当は古代さんでしょ!! 」
「 さっき 防衛軍の人にそう呼ばれていたじゃない!! 」
先ほどの相原との会話も知っているようだ。 それではこれ以上『違う』と否定する方が悪いことをしているようだった。
「 ・・・・ で、僕が その『古代』なら どうなの? 」
低い声でそういったら 「 やっぱり! 」 と言ってひとりの女性が古代のてを掴もうといっそう近づいた。
その手をかわし、古代は2人の間に出来たその隙間を縫って雪の方へと素早く移動した。
「 雪! 」
殺気はないが、身の危険を感じる。
古代は開いたドアを雪のその手を掴んで、走って降りた。
「 いや〜ん!! 古代さ〜ん!!! 」
あとを追いかけようとして降りてきた2人は、すでに人混みに紛れて姿の見えなくなった古代に向かってそう甘い声で叫んでいた。
久しぶりに全速疾走をした。
雪はただ古代に手を引かれ声も掛ける余裕もなかった。
だからしばらくして古代が走るのを止まった時は完全にアウトだった。
全身から力が抜けるように思いっきり息をついてから、肩であえぐように呼吸する。
もうこのところトレーニングなどしていないのに、何の前触れもなくヒールのまま古代の走りに合わせるっていうことはとてもじゃないが出来るわけない。
「 ごめん・・・ 大丈夫か 雪・・・・ 」
雪の半分も呼吸は乱れていない古代は軽く息を整えながら雪の手を放した。
「 だ、 だいじょうぶ・・・って言いたいけど、ちょっとお休みさせて・・・・ 」
肩で息をする雪を支えようと古代はその腕を雪の肩に回して自分の方に引き寄せた。
そんな古代の行動にまたドキドキする雪だった。
そして何にも気づいていないらしい古代に、『古代くんらしいわ』 と内心思った。
こんな風に、自然と振舞えなかった時の事を思うと何だかそれが可笑しい。
好きだったのに そう言えなかった。
いつでもそばにいるとわかってる。 そばにいたいと思っていた。
だけど、こうして触れることも、ましてや相手を思いやった言葉も言えなかった。
そんな事も今になっては大切な思い出。
雪は自分を心配して、そっと腕を回してくれる古代にドキドキしながらも凭れるように頭を傾げた。
ポツリポツリと呼吸を整えるようにゆっくり歩く。
ふと気づくと同じように優しい空気に包まれた恋人同士の存在に気づいた。
その『恋人たち』は当然のごとく、自分たち以外のものは目に入らない。
抱き合って ふと見つめあいながらそのままキスをする。
そんな周囲の人たちの姿が目に映った。
雪の肩を抱いて歩いていた古代はそんな視界に瞬きしながら、自分の肩にかかる雪の髪を見つめた。
明るい栗色の細くて柔らかそうな髪はそう長くないが、雪のその小さい顔を包むように頬のラインを流れる。
それを雪が軽く耳にかき上げる。 その細い指がとても綺麗だ。
周囲の様子に流されそうになりながらも、ふと古代は現実に戻る。
「 ・・・・ ちょっと 座ろう・・・・ 」
自分の感情のやり場に困り、近くのベンチに雪を座らせた。
それと同時に持っていた雪のコートをかけてやる。
すっかり汗ばんでいたが今は2月だ。
陽があっても空気がひんやりしている。
「 風邪を引かなきゃいいけどな・・・ 」
雪がホッとしたような顔をしているのを心配そうに古代は覗き込んで言う。
それから辺りを見回した。
エアバスを降りてから1ブロックは過ぎている。
辺りは公園になっているのか、のんびりと散歩をする人たちが見える。
そしてそこの一帯には大きな高い建物がない。
「 あの先に見えるのが 植物開発研究センターよ 」
ドーム状の天井が見えた。
それに雪の視線が向けられ、古代も顔を向ける。
それを見てホッとしたのか、古代は何となくため息を漏らした。
「 古代くん 大丈夫? でもさっきの人たちきっと古代くんのファンなのよ 」
「 ファン? 」
なんだ、それは。 といいたそうな古代に雪はクスリと笑う。
確かに、数ヶ月前 地球にヤマトが帰還した時の市民の喜びは物凄いものだった。
それは当然理解できる。 すべての生命の存在が放射能と言う目に見えないものに犯され消滅するかもしれないという時間との戦いであった地球に、それこそ『生命』を回復させることが出来るものを運んできたのだから。
ヤマトの乗組員は歓喜の海に放り出されたような状態だった。
古代は艦長の沖田が亡くなっていた事もあって、ヤマトの全責任はすべて艦長代理の自分自身に圧し掛かり、公の場に艦長の代理として出なくてはならない日々が続いた。
当然、マスコミにもコメントを求められ、ほかの乗組員以上に私生活も報道されるようになった。
そんな乗組員への配慮として藤堂長官の指示のもと情報規制がされ、ヤマトと乗組員に関しての一切の件は防衛軍の広報課が一括処理をすることになったのである。
そんなことを思い出した。
「 止めてくれよ、ファンなんて。 それに僕はそんな『英雄』扱いされるほど経験もなければ、実績もない 」
「 でも地球でヤマトの帰還を待っていた人にはヤマトは英雄なのよ。 自分たちの未来と希望を運んでくれた特別な存在なのよ。 」
そんな騒ぎの収まらないうちに宇宙へ飛んで行った古代と違い雪は、地球での人々の変化を見てきたのだ。
自由と平和。 人々の心と身体の両方がそれまでの制限された窮屈な生活から解き放たれる。 それが目に見えてわかる。
それを直に感じた。
そして たった1年間だったのに一生分以上にも思える強い絆を感じさせてくれるクルーたちの存在。
それが自分もそのひとりとしてでなく 別な立場からそう感じてきた。
それが何故か。
多くの若い女性たちから羨望の眼差しを受けている人は そう自分の好きになった人。
それに誇らしい気持ちとは裏腹に複雑な気持ちが存在する。
それを耳にする時の雪の心は、その狭間にもてあそばれる花びらのようだった。
ベンチに座り 植樹されている木や植物を手入れするロボットを、ぼんやりと見ているふたりの前にひとりの幼い子どもが通りかかった。
・・・?
ふと止まり 古代と目が合う。
そして突然 その大きな瞳からボロッと涙が流れて落ちた。
「 パパー!! 」
ぱぱ?
そう叫んでその子は古代に抱きついてきた。
雪は泣きじゃくるその子を見ながら、困った顔をしながらも懸命に声をかけようとしている古代を見つめた。
その子はまだ2歳になるかならないかぐらいの子だ。
その子が 「パパ」 と言いながら抱きついて泣いている。
それを真剣にとってしまう雪である。
もしかして 古代くんのこども・・・・???
でも 『 まさか 古代くんに限って ・・・・ 』っと目の前の現実を瞬きをしながら見つめる。
だがなかなか一度そう思ってしまうとその見解から離れられない。
それまでの自分の素直な気持ちは何処かに飛んでいってしまって、コンピューターが一斉に稼動したような状態で思考がフル回転する。
もしかして ヤマトに乗り組む前に古代くんが女の人と付き合いあっていて
その子が生まれたとしたら・・・・。
そんな考えしか思い浮かばない。 そしてそうした目で見てしまう。
何となく 大きな瞳が似ているような・・・。
抱きつかれた古代は首に回されたその子の手をはがして、そして目を合わせるように顔を向けた。
「 ママは? それともパパと来たの? 」
それでもまだ「パパ パパ! 」と言って泣いてくっついてくるので、古代はその子を抱いたまま立ち上がった。
「 ほーら、 いい子だから 泣くなよ。 誰と来たの? 」
偶然なのか同じようなジージャンを着てデニムの半ズボンである。
抱き上げて高い高いをしてやる古代は泣き止ませるのに一生懸命だ。
「 こ・・・古代くん 」
聞いたこともないほど低い声でそう呼んだが古代は気がつかない。
それを無視されたように感じた雪は思わず立ち上がって叫んだ。
「 古代くん! まさかと思うけどっ! その子 古代くんの・・・!!!? 」
古代がキョトンとした顔で雪を見る。 そして同時にその子もピタッと泣き止んで雪を見た。
「 まあ、さすがママねー。 泣き虫さんもどこかに飛んで言っちゃったみたいねー 」
ほほほ・・・・と年配の女性がそう囁きながら3人の前を通り過ぎた。
。。。。。
自分がママと勘違いされた雪は、その古代の顔を見て古代への不信が自分の思い過ごしでしかないことを強く感じた。
そうよ。 古代くんにそんなことある訳ないわ
もしこの子が2歳だとしたら2年前はまだ宇宙戦士訓練学校在学中だ。
それに心に決めた女性がいたら、こんな風に自分に好きだとはいえない性格だと思う。
雪は『おっちょこちょいは変わってないわねー』と千鶴に笑われたような気がして赤面した。
そして自分の浅はかさを隠すように 「 迷子なのかしら・・・? 」 と呟いた。
どうにか泣き止んだその子を見て古代はまた困ったような顔をした。
なんだって 今日はこうイロイロあるんだ
古代の顔を見ては満足そうにニコッと笑うその子の親も恐らく心配しているだろう。
笑いかけられ古代もそっとその子に笑いかけた。
「 大丈夫。 ちゃんとパパとママを見つけてやるからな 」
頭に手をやりクシュッと撫でる。 古代の言葉に安心したのかその子はまた頷きながらニコッと笑った。
それを見て古代と雪も安心した。
そして3人の間に和やかな空気が漂う。
それと同時にふたりは辺りを見回しこの子の親らしき人影を捜した。 だが、それらしき人はいない。
「 どうしたらいい? 警察かな? それともここの近くに軍の管轄する施設ある? 」
いざとなれば軍の情報部に市民コードを問い合わせればいい。 だが、こんなに幼い子がそのコードを知っているわけはない。
「 名前は?・・・なんて聞いてもわからないんだろうなー・・・・ 」
独り言のようにその子に向かって言う古代。 だが、その子はニコッと笑って言った。
「 やまと 」
「 ヤマト? 」
古代の言葉に大きく頷いてその子はまた笑う。
「 君の名前が『ヤマト』なの? 」
不思議そうに古代が問いかけると雪は思い出した。
「 そう言えば、ヤマトが飛び立った後につけられた子どもの名前って『ヤマト』とか『未来』とか『のぞみ』とかの名前が多かったんですって 」
そういうことなら、確かにこの子の名前は『ヤマト』なのかもしれない。
そう思った古代だった。
「 そっか・・・。 じゃあ、ヤマト。 僕にお母さんとお父さんの事話して 」
古代はやまとに向かってそう言った。
そんな小さい子の言葉を鵜呑みにしたら・・・。
やまとはもうすぐ2歳。 そしてママと2人でこの近くに買い物に来たという。
その買い物の途中で、ひらひらと飛んで動くものついてここまで来てしまったと言う。
それはたぶん季節はずれの蝶だ。
この先の植物開発研究センターから飛んできたのだろう。
そしてそのママとはぐれてしまったのだ。
そこまで話して、またやまとは「 ママ ママ 」とべそをかき出した。
「 ほら しっかりしろ。 ちゃんとママを見つけらるまで泣くなよ 」
鼻をつまみ、やまとの顔を自分の方に向けじっと見つめる。 その古代の顔には小さいその子への優しさがあった。
「 ・・・・ 雪 この子のお母さんを探してもいい? このまま警察に任せるのもな・・・ぁ 」
こうなったら徹底的に古代は探すだろう。 そうなるとふたりでデートしていることも忘れる。
これまでの経験上、足りない言葉のためにケンカなんて山のようにしているふたりである。
それを踏まえた上での発言とは思えないが、そう気遣ってくれる古代に雪は
「 いいわよ。 ちゃんとママに会わせてあげましょうね。 」 と優しく微笑んで答えた。
どうであれ、今は一緒にいたい。 そう思っていた雪だった。
古代は雪の返事にいつもの真剣な目をして頷いた。
そして迷子の照会をするため自分の通信機を取り出し、公安にアクセスする。
やまとから聞いた情報を入力してみるが問い合わせがない。
古代は軽くため息をついて、やまとの詳細を登録した。
「 仕方ないな。 まだ逸れたの気づいてないのかもしれないし、しばらくこの子を連れて探してみるか 」
そして一度はベンチに座らせたやまとを抱き上げると今度は肩に乗せてやる。
それにやまとは上機嫌になって肩の上で暴れるので古代は 落っことすぞーと言いながら、やまとが歩いてきた方向に走り出した。
その後を雪は楽しそうについて行った。
公園の中をやまとの記憶をたどって廻った。 だが、やまとの母親は見つからなかった。
肩から降りて古代に手を引かれて歩いていたが、疲れたらしいやまとの足取りも徐々に緩やかになりついには止まってしまった。
「 ちょっと 休もうか。 それにおなかがすいたよなー 」
しゃがみ込んで 古代はやまとを覗き込みながらそう声をかけた。
それに雪が向かい側の大きな建物を指差した。
ショッピングモールの入り口だった。
「 なんでも好きなものがあるわよ。 やまとくんは何が食べたい? 」
「 すぱげてぃー あかいの のってるのー 」
「 わかったわ。 赤いミートソースがかかったスパゲティーを食べに行きましょ 」
やまとはそう言う雪の方へ古代の手から離れて雪の手を取って走り出す。
調子がいいな、と思いながら今度は古代がその後をついて行った。
子供連れでも大丈夫そうな大きなファミリー向けのレストラン。
その周辺にもイタリアン料理のお店はたくさんあったが、その広くて明るい店内が見渡せるそのお店にした。
もしかしたら、食べているやまとを親が見つけてくれるかもしれないと思ったことと、こんな小さな子を連れて入るのはちょっと憚られるようなそんなお店はまたいつかふたりで来た時ににしよう、と思った雪である。
店内に入ると外の見える窓際に案内された。
そして席についた後、テーブルにあるパネルで食べたいものを注文すると室内の各テーブルを巡るミニチュアの鉄道がそのトレイを載せて走ってきた。 そしてテーブルの脇に停止した。
「 はい やまとくんの。 ひとりで食べられるかしら・・・ 」
古代の隣に座り、やまとは満足そうに自分の前に置かれた皿を見て楽しそうに笑う。
「 はんぶんこ。 パパとはんぶんこする 」
そう古代を見上げてやまとは言った。
「 じゃあ、半分こにしましょうね。 」
雪は言われたとおりに小さい皿に取り分けた分を古代の方に差し出した。
「 はい パパ。 ご指名ですから、召し上がってくださいね 」
雪にまでパパと言われちょっと頬を膨らます。
さっきからこうしてやまとを連れているのですっかり親子に間違われている。
だから、時折 『あの人 宇宙戦艦ヤマトの・・・』と囁かれる言葉を完全に無視できるのだが、それでも雪にまでそう言われて何となく居心地が悪いような・・・。
そんな気持ちなどお構いなしのやまとは いただきまーす と言うとそのお皿を手前に引いて上手に、だけど口の周りを赤くしながら食べ始める。
古代と雪もそれぞれ自分の前に置かれたカレーとシチューを食べ始めた。
「 でも、まだ気づかないのかしら・・・・ 」
雪の前でやまとの赤くなった口を拭いてやっている古代にそう問いかける。
何かあれば通信機に連絡があるはずだ。
それもない。
「 もう一度 照会してみようか? 」
やまとの世話をしていた古代は雪にそれをしてっというように、通信機を差し出した。
それを手にした雪が手馴れた感じでアクセスする。
しばらく検索しているようだが、やっぱり照会はないらしい。
「 どうしちゃったのかしら・・・・。 」
雪は不思議そうに首を傾げた。
目の前の古代とやまとは不思議と違和感がない。。
やまとはまだ正確な会話が出来るほど言葉を知っているわけではなさそうだったが、それでも古代との会話が成り立っていた。
古代が話しかけるとそれに見合った返事を返す。
古代が笑うと同じようにして笑う。
古代のすることをコピーしているようで何だか面白い。
それにそれを見ているととても穏やかな気持ちになる。
古代くん きっと自分の子どもにもこんな風に接するんでしょうねー・・・
そう思うとふたりの空間がとても眩しく暖かに感じた。
白い羽がヒラヒラと舞っているようだった。
食事を済ませ そしてまたやまとに出会った場所まで戻ることにしたふたりは歩き出してそう感じた。
「 蝶だ・・・・ 」
それはやはり植物開発研究センターの方向に向かって飛んで行く。
「 きれい きれい 」
やまとがそう叫びながら走り出す。
古代も雪もそれについて行くようにあとを見守った。
大きなドームの天井部分が開いていた。
そこへ当然のように入っていく蝶は、追いかけてきたもの以外にもあちらこちらから飛んで来ていた。
白いモンシロチョウのように小さいその羽をひらめかせ。
向かい風に負けることもなく、ヒラヒラと舞うその動きに心が惹き寄せられる。
姿の見えなくなったその蝶にやまとがまた大きな目を潤ませる。 そして古代を見上げて何かい言いたそうに指をそのドームに指した。
「 そうだね。 あそこに行こう。 」
古代はやまとを背負うとまた雪を気にかけるように一度振り向いた。
それに雪は答えるように頷いた。
そしてそれを求めるために走り出した。
ドームの中央に大きな木が立っていた。
すでに天井は閉まり、その大きな木の行き先を遮っているようだ。
中は温室のように暖かい。
雪は着ていたコートを脱いでそしてやまとの着ていたジージャンも脱がせた。
その時胸のポケットから何かが落ち、雪はしゃがんでそれを拾った。
ロケット型のペンダント。
蝶に夢中になっているやまとはそれに気づかず、古代もそんなやまとのあとについて回っている。
・・・・・
それをしばらく見つめていた雪だったが、中央のボタンを押したあともやはりその場に立ち尽くしていた。
「 やまと! やまと!! 」
「 あっ!! ママぁー!!? 」
やっと近づいて来た蝶だったが、やまとはそれよりもその自分に向かって走ってくるひとりの女性に向かって走り出した。
「 ママー!! 」
自分が迷子になっていたことなんてすっかり忘れたようなやまと。
ただ、ママに抱きついてそして思いっきりその存在を確認するように首筋に顔を埋める。
「 ごめんね・・・ ごめんなさいね やまと・・・・ 」
そんなふたりの様子に古代がホッとしたように息を漏らしながら雪の隣に立った。
そして雪の手をそっと握り、そしてこちらに歩いてくるやまとの母親を見つめた。
「 本当にお世話になりました。 何とお礼を言っていいやら・・・・ 」
深々と頭を下げるその女性はどことなくやつれているようだった。
少し長い髪を手で後ろに追いやりながらまた頭を上げてふたりを見つめた。
その瞳はそんな後悔の色を助長しているようだった
「 ・・・ もう やまとくんを泣かせないでくださいね。 」
雪はそう言ってやまとの肩にジージャンをかけ、そして拾ったペンダントをその母の手に握らせた。
「 よかったな、 やまと。 もうはぐれちゃだめだぞ。 ママを護ってやれよ 」
古代はまたその手をやまとの頭にやってクシャと撫でた。
「 うん! 」
満面の笑顔をたたえ やまとは大きく頷いた。
それに古代も頷いて答える。
「 それじゃあ 僕たちはこれで・・・・ 」
そう言って雪を連れ、古代は背を向けた。
「 あ・・! お名前を・・・! 」
そう問いかけた母親に古代は振り返りながら首を振った。
「 今日だけはやまとくんの『パパ』と言うことで。 なあ、雪 」
「 そうね。 やまとくんといた時間はやまとくんの『パパ』だったんですよ 」
笑顔で雪もそう言った。
じゃあ。と古代はやまとに手を振り、背を向けた。
まだ蝶がヒラヒラと舞っている。
その中を雪と手を繋ぎ 決まった行く先もないまま蝶に導かれるように歩き出した。
「 古代くん ――― 」
ドームのあった施設が離れて見えた。
雪の声に古代は歩くことを止め、雪を見つめる。
まだセンターの敷地内なので、至る所に育成中の植物が見える。
それらを何となく眺めながら、黙ったままふたりは歩いていた。
「 ん? 疲れた? 」
そう尋ねてくる古代に首を振った。
「 やまとくん 古代くんによく似てたわね 」
「 そうか? 」
古代はやまとの顔を思い出すように少し首を傾げる。
「 それにとても かわいらしかったわ 」
「 ・・・? それって僕もそう見えるってこと? 」
雪のそんな言葉に複雑そうな顔をした古代がまた思い出したように渋い顔をした。
それが相原に言われたあの言葉も重なっているらしいことを感じた。
だが、そういうことじゃない。
雪は首を振った。
それまで知っているようで知らなかった古代のこと。
それを知った。 だからそれがとても嬉しい。
そんな思いすべてを笑顔の中に閉じ込めた。
「 違うわ。 そうじゃないの・・・・ 」
雪はそう言ったあと じっとあの澄んだ瞳で古代を見つめた。
「 ・・・・ 古代くん 」
周囲の育成されている木の苗はふたりの背丈を隠すほど大きくはなかった。
時折吹く風にそんな細い枝がなびく。
古代は雪の声に体を正面に向ける。
ふたりはお互いの顔を見る。
雪の艶やかなあの小さい唇が何かを言おうとする。
その動きが古代の鼓動を早める。
『 何もしないんじゃなかったのか 』 とまた心の中で誰かが言う。
見つめられたまま 雪の唇は何も言わずに閉ざされた。
それと同時にゆっくりと・・・
雪を見つめているとその瞳を閉ざすようにそっと長い睫毛が動いた。
だめだ
君に触れたい
もう だれも何も言わなかった ・・・・・
そして 影が重なった。
しばらくは 白い花のように舞う蝶だけが 動いていた ―――
←BACK
10000人目の入室者になりましたポンコさまからキリバンリクエスト
『「nextstep」のお話のラストはデートの約束をしたところでしたね。できましたら初々しいふたりのデートのお話をお願いします』と頂きましたお題ですが、『初々しい』?? ^^ヾ そ、それはとっても疑問ですが・・・
すみません!!
としか言いようがありません。このあとはご想像にお任せします!
material by Simple Life
(脱稿2006.01.21)
|